ヘボコンの比じゃない!!アメリカの「BattleBots」がエキサイティング
昔に比べると夏はどの程度熱くなったのか?
今年も夏が本格化しようとしています。
特にスーツを着るような仕事をしていると、うだるような暑さに心折れそうになる日もしばしばです。
そんな時、「昔はこんなに暑く無かったよね」的な内容が話題にのぼることが多いですが、同世代が幼少期であったころであろう20~30年前くらいを特に注目し、実際どのくらい熱くなったのか調べてみました。
実際にどの程度変化しているのか
気象庁で公開されている、過去の気温をグラフ化し、線形近似で傾向を見てみます。
おおよその傾向として、平均気温、最高気温、最低気温ともに上昇傾向がみられます。
また、最高気温よりも最低気温の上昇傾向が顕著に表れています。
とはいえ、ここ30年の近似線だけに注目すると、最高気温で0.5℃、最低気温で1℃程度しか上昇していないので、期待外れ感が半端ないです。
他の指標の傾向は?
気象庁に、真夏日の日数、猛暑日の日数、熱帯夜の日数の推移がグラフとして掲載されていました。
まず、真夏日の日数
増加傾向はみられるものの、そこまで激しい増加を感じません。
次に、猛暑日の日数
真夏日に比べると顕著な傾向がみられました。
最後に、熱帯夜の日数
これも顕著な傾向がみられます。
人は何をもって「暑い」と感じているか
「昔はこんなに暑くなかったよね」的な論調が確かであるとするならば、熱帯夜の増加が大きな原因の一つではないでしょうか。
朝晩が涼しいだけでも過ごしやすさは全然違いますし、確かにラジオ体操してるときはそこまで暑く感じなかった気がします。
さらに、最近追加された概念「猛暑日」の日数が、「暑い」という記憶をさらに確かなものにしているのではないでしょうか。
他に要因はないか
とはいえ、「暑くなった」と感じる要因について、なにか独自の解釈ができないかなと考えてみました。
気温の分析なんかは専門家がやればいいし、気温は制御できなくても、その他の要因は制御できる要因をもとに、何か解決策があるかもしれません。
幼少期とは着ているものが違う
子どものころはTシャツ一枚で駆け巡っていたのに対し、大人になった今はスーツで活動している人も多いでしょう。
出てきた腹をベルトで押し込めるような着こなしは、暑いと感じても仕方ありません。
エアコンの設定温度が上がった
近年、節電を目的として、公共施設等ではエアコンの設定温度を28℃に設定するのがスタンダードになってきています。
子どものころに行った図書館なんかはエアコンがキンキンで寒いくらいだった記憶もありますが、今はそんな気温設定は商店街のドラッグストアくらいじゃないでしょうか。
もしかしたら、昔にくらべて「丁度良い」設定が可能になった技術の進歩もあるかもしれません。
田舎から都会に出てきた
「子どものころは涼しかったな」的な事をおっしゃる人に対し、「都会で暮らして無かったころの記憶だからなんじゃ?」という疑問もあります。
野山を駆け巡っていたころはさぞマイナスイオン()がふんだんに出ていて爽やかな気候だったかもしれません。それに比べるとやはり輻射熱をため込みやすい構造である都会は暑い傾向が強いでしょう。
何が言いたいのかよくわからない記事になってしまいましたが、解釈は読んでいただいた方にゆだねるとして、エアコンを満喫する作業に戻ります。
糖質制限中にやむを得ず糖質を取ってしまった場合のその後
糖質制限していても、どうしても糖質を摂らざるを得ないシチュエーションはあります。
先日、大阪、博多と立て続けにご飯の美味しいところに遠征する機会がありました。
折角の機会に一人だけ「糖質制限中なので・・・」と断るのも興ざめかなと、特に何も気にせずに食べることにしました。
そんな時に体がどう反応するか、自分の身をもって体験した記録を残しておこうと思います。
旅行後の経過
一泊二日の旅行中、特に糖質量を気にせず飲み食いしました。
寿司、ラーメン、ビール etc…
飲んでは食べを繰り返し、泥酔&満腹の状態で旅を終えました。
とはいえ、キツめの糖質制限約2ヶ月の状態でしたので、胃のサイズが小さくなっていたせいか、全盛期ほどの量は食べれませんでした。
帰宅後一日目
帰宅翌日、体重計に乗ってみると体重が2.5kg増えていました。
また、旅行中に血糖値を激しく上げてしまった反動で、血糖値の下降による空腹感もなかなかのものでした。
食事はいつも通り、1食あたり糖質20gを超えないような食事に戻しています。
帰宅後二日目
体重は1.5kgほど減少し、旅行前に比べると1.0kgほど多い状態となりました。
若干の空腹感が残るものの、前日に比べると穏やかで、ピークは越した感触がありました。
帰宅後三日目
体重については、旅行での増加分がほぼチャラになっていました。
空腹感もほぼなくなっていましたので、血糖値も安定している状態になったと思われます。
結論
- 糖分を取ると一緒に水分も貯めてしまうため、食べた以上に体重が増加します。
- 水分による体重の増加はありますが、脂肪が大量に増えたわけではないので、概ね三日ほどで元に戻ります。絶望するには早いです。
- 一度上げた血糖値が下がる時に、空腹感に襲われます。2日も耐えれば通常状態になりますのであきらめないでください。
一度食べてしまうとなし崩し的に食べ始めてしまいがちですが、一泊旅行程度の暴飲暴食であれば数日でリカバリ可能です。
糖質を取りすぎる事が日常的な状態にさえならなければその後も継続可能ですので、やむを得ずに糖質を取ってしまった場合も、3日ほど耐えることでまた減少傾向にもっていくことができるようです。
謎のサイト"マンションポエム.com"爆誕
マンションポエムの情報を集めるサイト、マンションポエム.comを立ち上げました。
ちょっと何がしたいのか自分でもわかりませんが、なんか面白そうなのでとにかくデータを集めてやろうと思います。
まだ着工前のマンションに関する情報が多い状態ですが、このサイトで取り上げられたマンションに人が住み始めた時、住人は自分が住んでいるマンションについた素敵なポエムを見て何を思うのか。
長期計画で楽しもうと思います。
"Googleに間違った定休日を載せらていた飲食店"についてのニュースが人工知能の未来を示唆しているかも
Googleさんに関するニュースが話題になっていました。
Googleが提供するサービスとか情報って盲目的に信じてしまうところがありますが、
実際は100%正しいわけではない事もままあります。
このニュースの先に、人工知能が発達した未来が垣間見えたような気がしました。
Googleが提供する情報が間違っていても信じる?
このニュースで取り上げられたお店をGoogleで検索すると、実態とはことなる「毎週火曜日」という検索結果が表示されていました。
店主はそのことに気付いていなかったそうですが、「毎週火曜日はお客さんが少ないな…」という感触を持ってお店を営んでいたそうです。
実際の定休日は「毎月第三火曜日」だったそうなんですが、Googleは、関連した情報をもとに定休日を自動で分析し、「毎週火曜日」という判断を下して検索結果に掲載していたとのこと。
その情報を信じ、毎週火曜日は定休日だと思い込んだお客さんは、火曜日に来店を控えていたようですね。
自動化することの難しさ
この事案は、「毎月第三火曜日」を「毎週火曜日」という"惜しい"っちゃ惜しい誤認が原因で発生していたものでした。
機械的に自動生成されたデータというのは、特定のアルゴリズムで産出された結果ですので、人が登録したものと違い、レアなケースや特殊な情報には対応しにくいものです。
この事件から見える未来
こういったデータを自動生成するためのAIを介して個人を管理するような世の中になった場合、ものすごく特殊な滅多に存在しないようなケースにも対応できないと生活の基盤を脅かされる人が出てきます。
AIが何らかの理由で「この人は実際には存在しない」というような判断を下し、個人情報を削除してしまった場合、削除されてしまった人は行政サービスが受けられないという死活問題に陥ってしまいます。
Googleに営業日を間違えられてしまった人のように、AIによって自分の生活が脅かされてしまう未来というのは、まったくありえない未来ではないように感じました。
ディープラーニング等の技術により、AIの進歩はとどまるところを知りませんが、何らかの誤作動が全くないとは言い切れませんので、「AIによって自分の生活が脅かされる」という未来もあり得るかもしません。
"フリーランス"が労働市場を変える(と信じている)
労働市場の硬直化というのは、日本が抱える大きな問題の一つだと常々思っていました。
そこで気になったのがこの記事。
"労働市場の硬直化がすべての元凶である"という論調
記事を書いた城繁幸 氏の意見には、常々賛同するところがありました。
日本の閉塞感を生み出す種々の問題に対し、横断的な原因となり得るのが"労働市場の硬直化"であるという観点は、感覚的にまさしくそうであるという実感のある話題だと感じています。
年功序列的なたてまえが若者の賃金が下がる原因であり、若いうちの賃金と労働のバランスが釣り合わない状況を作り出しているというのは、社会人時代に痛切に感じたことです。
若者の賃金が下がれば消費の低下やら、出生率の低下やら、若者の●●離れ等もろもろの経済硬直化の原因となり得るのは至極当然のロジックに感じられます。
本当に労働市場を自由化するなんてできるのか
某氏がおっしゃるには、「解雇規制の撤廃」と「同一労働同一賃金」の導入が労働市場硬直化を打破するための解決策であるらしいのですが、僕はそれだけでは不足していると感じます。
この二つの政策に対して、既得権益の短期的なメリットがないからです。
どちらの政策も、「仕事のデキる若者」という観点から見るとぜひとも実現してほしい政策ではあるのですが、一番の既得権益層である「仕事のデキないおじさん」からすると、明日の生活を保障されない困った事態になる政策でもあります。
年齢層が高い方が政治的マジョリティであることも考えると、僕は「選挙によって労働市場の自由化が行われる可能性はとても低い」と考えています。
本当にすべきことは何か
この自体を打破するのに簡単な現象としては「個人事業主が増える」ということだと感がています。
個人事業主が増えると
- サラリーマンから一律徴収していた税金、保険、その他諸々の徴収が難しくなる
- 個人事業主から搾取しようと思うと、確定申告のチェックにかかるリソースが倍増する
というのがその根拠になります。
サラリーマンである限り、源泉徴収の名のもとに、国から指定されたお金はすべて払わざるをえないのが実態です。
個人事業主の場合、あらゆる出費は経費として精算できないかを試みます。税金を払わないように努力する個人事業主に対し、税務署のチェック機能は働くものの、現時点でもチェック機能の効果は限定的だと感じます。(まとめてサラリーマンから搾取する方が効率が良いからです)
そこで、個人事業主が劇的に増えると、サラリーマンから一律搾取できていた金額というのは大きく減ることになるので、国としては大きな痛手です。
国としての痛手が生まれて初めて、「サラリーマンから搾取すれば良いや」から「本当に効率の良い労働市場を作ろう」という方針に政策が変わっていくと思うのです。
国を変えるにはまず自分を変えるしかない
私がフリーランスになった大きな決め手は、「国や会社が人生を保障してくれるわけではない」という強迫観念でした。
会社員時代、「会社に所属することは、小さなリスクに対してはとても強いが、リーマンショッククラスの大きなリスクに対しては何もできない」ということを学びました。
リーマンショック後、賃金を下げたり会社をたたんだ経営者も少なくないと思うのですが、会社に依存していた社員は再就職もままならなかったでしょう。
天災級の大きなリスクに立ち向かうには、"自分でケツを拭くしかない"という信念のもと、個人事業主として生きていく道を選びました。
お上や会社に何かしてもらうのを待つばかりでなく、自分の意志で道を選んでいく覚悟が増えた世界のその先に、国や制度というものも勝手に追従してくると思うのです。
国も会社も、自分を守るために存在しているわけではありませんので、自分の人生を楽しむ人が多い社会というのが、真に良い社会なのではないかと思った次第です。
ワンコインマーケット"coconala(ココナラ)"にサービスを登録してみた
"coconala"は最近盛んなクラウドソーシングのうち、自分でサービスを出品できるタイプのサービスです。
発注者主体で仕事がやり取りされるクラウドワークスやランサーズなどに比べると、自分がサービスを出品する形式ですので、自分ができる事に特化したサービスを売ることができる(かもしれない)のが特徴です。
ランクが上がるまでは500円以上では出品できませんので、簡単なサービスを出品してみました。
ウェブサイトに表示するためのGoogleのカスタムマップを作成する
興味のある方は是非。